競技かるた 総文祭で長野県代表・全国ベスト16

2026.08.17


 

すみれの花のように 人のゆかしさ 人のやさしさを たたえるような生徒を育成する

本校の理念から名前を借りた特集「ゆかしいひと。」第一回は、秋田の畳の上の、最後の一枚の話です。

 

 

3年7組の風間美樹さんが、全国高等学校総合文化祭(第50回・秋田県)小倉百人一首かるた部門に長野県代表選手として出場しました。長野県チームは予選リーグを3戦全勝で突破し、決勝トーナメント初戦で東京都に敗れ、全国ベスト16。風間さんは本校中学からの6年目。「競技かるた部があるから」と、この学校を選んで入学してきた生徒です。

 

競技かるたとは
百人一首の百首から、五十枚だけを畳に並べる。二人が二十五枚ずつを自陣に置き、読手が詠む上の句を聞いて、対応する下の句の札を取り合う。先に自陣がゼロになったほうが勝ちだ。
場に出ていない残り五十枚も、読手は詠み上げる。それに手を出して札に触れば「お手つき」だ。
選手にできるのは、配られた二十五枚をどこに置くかを決めることだけだ。取りやすい位置、覚えやすい並び、相手に取らせない配置——駆け引きはここから始まっている。裏を返せば、相手陣に並ぶ二十五枚は、相手が自分のために組んだ布陣である。だから相手陣の札を取ることができれば、自陣から一枚を相手に送ることができる。そして並べ終えてから十五分。この時間で、自陣と相手陣、合わせて五十枚を覚えるのだ。

 

 

 

Vol.1 「あしびきの」

 

自陣に、一枚。敵陣に、一枚。
競技かるたでは、この状態を運命戦と呼ぶ。詠まれた札を、先に取ったほうが勝つ。ただし、次に詠まれるのがこの二枚のうちどちらかとは限らない。場に出ていない札に手を出して触れば、お手つき。その瞬間に負ける。
取れば勝ち。取られても誤っても負け。積み上げてきたものが、一枚に精算される。
第50回全国高等学校総合文化祭、小倉百人一首かるた部門。予選リーグ初戦、長野県対三重県。この一枚に、チームの勝敗がかかっていた。
構えているのは、長野県代表の一人。本校3年、風間美樹さん。

 

 

 

 

序盤、風間さんは崩れていた。

 

 

「お手つきが止まらなくて、どんどん差が開いていました。束負けするかと思って、少し焦りました」

 

 

十枚差以上をつけられての敗戦を、競技かるたでは束負けという。その三文字が現実味を帯びていた。
だが、手が出すぎての失点は、裏を返せば速いということだ。札が減り、覚えた配置が絞り込まれていくほど、速さは正確さに変わる。後半、風間さんは相手陣の右側を抜き続けた。相手が自分のために組んだ布陣が、一枚ずつ崩れていく。差が縮まった。
そして、一枚ずつになった。

 

 

「普段の私なら、緊張してお手つきして負けて、チームも負けるみたいなことをします。隣の子も、私が勝つことをあまり期待していなかったと思います」

 

 

序盤にお手つきを重ねた選手の、運命戦。しかもここでのお手つきは、それだけで終局を意味する。
ところが、この日は違った。

 

 

「でも不思議と、負ける気がしませんでした。運命戦まで試合することを想定していた、というのが正直なところです」

 

 

残った二枚を確認する。どちらも上の句の冒頭だ。
敵陣は「ももしきや」。「も」で始まる歌は百首に二つしかなく、もう一方はこの試合ですでに詠まれていた。相手は「も」の一音で動ける。
自陣は「あしびきの」。「あ」で始まる歌は十六ある。他の「あ」の歌がすべて詠まれ終わっていれば一音で動けるが、風間さんは、あと何枚残っているかを数えていなかった。だから「あし」の二音まで聞いてから取るつもりでいた。
相手は一音、自分は二音。半拍、遅い。敵陣を狙えば、その半拍で先を越される。かといって確かめないまま「あ」で飛び出して札に触れば、お手つきで終わる。自陣が詠まれることに、賭けるしかなかった。
そして風間さんは、自陣が詠まれると確信していた。

 

この大会の団体戦では、試合ごとに使う五十枚が決められている。札の束を開いたとき一番上に来る札が指定されていて、選手はその札で、正しい組み合わせかを確かめる。
一回戦の、一番上の札。それが「あしびきの」だった。
「統計も何もない、言ってしまえば勘です。でも絶対に詠まれると思って構えました」
詠まれる順番は、誰にも分からない。それでも風間さんは、片方に全部を賭けた。
詠まれたのは、「あしびきの」だった。

 


「団体戦でチームのために勝つことができた。それが自信になりました」

 

 

競技かるたを始めたのは、小学5年生の春だった。
「始めた頃は札を自陣の右に固めて取っていました。今は自陣の右を強みにしながら、満遍なく取れるようになりました」
始めた頃の彼女は、得意な右に寄せて守った。今は、右を強みとして残したまま、盤面全体に散らして並べる。七年かけて変わったのは、あの十五分の中身だった。
中学に上がるとき、風間さんは競技かるた部のある学校を探した。そうして選んだのが、文化学園長野だった。以来六年、この学校の畳で練習を重ねてきた。
その七年目の夏に、風間さんは県代表になった。
長野県代表を決めるのは、諏訪で二日間、全十試合を戦う選考会である。

 

 

「安定して代表に入るには10試合勝たなければいけないのですが、私は1試合負けてしまいました。少し焦りもありました」

 

 

落としたのは、二日目の四試合目だった。それでもリーグ一位で通過。代表が決まった瞬間を、風間さんはこう表現している。

 

 

「喜びよりも、安堵でした」

 

 

総文祭の一週間前には、滋賀県で全国高校生選手権が開かれる。風間さんはそこに出場し、自分と同じB級の選手に勝つことを目標に調整して、秋田に入った。
秋田の会場に足を踏み入れて、初めて見る光景があった。

 

 

「いるのが全員高校生で、全員が団体戦をしている。私は選手権では個人戦しか出たことがなかったので、とても新鮮でした」

 

 

長野県チームは、三重県戦を含む予選リーグ三試合を全勝で通過した。
決勝トーナメント初戦、相手は東京都。敗れた。
全国ベスト16。高校生活最後の総文祭は、そこで終わった。

 


だが、風間さんの話す「次」に、引退の気配はない。競技かるたには実力別のクラスがあり、上からA級、B級と続く。

 

 

「次の目標はA級になることです。B級になるのに3年以上かかりました。A級はもっとかかるかもしれません。でも絶対に諦めずに練習して、A級になります」

 

 

競技かるたの魅力を訊くと、こう答えた。

 

 

「老若男女問わず試合ができるところと、頭と体の両方を使うところです。体では構えて試合をする。頭では暗記をして、どこをどう取るのかイメージをつけて、さらに送り札を考えて、駆け引きをして。それを1試合1時間半、大会になると2時間、ずっと考え続けます」

 

 

そして、こう続けた。

 

 

「でも次の試合までには、やったことを全て忘れなければいけません。次の試合に前の試合が影響してはいけないのも、競技かるたの魅力です」

 

 

忘れる。あの運命戦の一枚も、次の畳に持ち込んではならない。

風間さんは、支えてくれた人を一人ずつ挙げた。出たい大会があれば連れて行ってくれた家族。指導してくれたかるた会の方々。試合をしてくれた対戦相手。「難しい言い方を理解して頑張ってくれた」部員。予選から秋田まで帯同した顧問。応援してくれた友人。

 

 

「私に関わってくれた全ての皆さん、本当にありがとうございます」

 

 

最後に、これから始めようか迷っている人へ、と前置きがあった。

 

 

「百枚も覚えなきゃいけない、私は集中力がない、と遠ざかってしまう人が多いのですが、かるたに限らず、スポーツはどこに行っても難しいです。どの競技も、やってみないと始まりません。その思いを跳ね除けるほど、楽しくて奥が深い競技です」

 

 

「明治時代から始まる競技かるたと、飛鳥時代から鎌倉時代までの歌。素晴らしい歴史を持つ競技です。ぜひ一度、試合を見ていただきたいです」

 

 

文責 広報部




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